職業は「ヤスベー」
家業を継ぐということが単に飲食店を継ぐということを意味していない事は気付いていた。
そういうと、その裏側にある誇りとか拘りとかを絶やさないみたいな意味合いに受け取られがちだが、そういう事でもない。地元では一応名前は通っているし比較的慕われている方だと思っているのだが、それはどこよりも美味しいものを作るからではなく、特別安いからとか豪華だからとかいう事に由来しているわけではない。
でも、たぶんそういう所が気に入っている。信仰に関係なく<弘法さん>とか<太閤さん>とか言われたりするそれに近い感覚だ。崇め奉っているわけではなく、何かをしてくれるわけでもない。でもそこには大きな起伏のない存在感と、そこはかとない信頼関係がある。「一緒にいる」のだ。
でも僕はもう少し目立ちたがり屋なのでちょっと声の大きいことや派手な色が好きだったりするのはご愛敬という事で勘弁していただきたい。
そういった価値観の中で僕が故郷で仕事をするという事は、この町でどうやって生きていくかを示すことに他ならない。
こうしたいという思いを形にする事。やりたいと思うことで商売をする。これが出来たら場所は関係ないという事になる。生まれ故郷で、やりたいことは全て現実にしていつだって行きたいところには行ける。そういう事を一つずつ証明することは自分を肯定することになるし、それって最高に自由だ。
それから、屋号の<安兵衛><YASUBE>っていうのは職業の名前だと思っている。
カテゴライズはされない。
業務内容は決まっていない。
それってどんな仕事なのか?とか、何ならできるのか?を問い続ける事だと思うし
これって自分にしかできないなって思えたらきっと仕事になる。
そういう可能性の中に「つなげる」っていう仕事がある。
例えばAとBはすでに世のなかに存在していて珍しくはないものだとする。すべてがそういうものなんだと思う。だけど、お互い近くにあるのに案外とこれが出会わない。それらが僕を介して出会うことがあって急に輝きだしたりする。
そういう瞬間たるや強い高揚感があふれて、頭の中のミラーボールが回るか、頭がミラーボールになって回っているかみたいな状態になる。最高の瞬間だ。
郷土においていかに生きるかを自ら表現すること。
自分が郷土にできる最大の仕事は何か。という問い。
そうやって自分の内と外、誰かの心と自分の心を行ったり来たりしながら、あいつ楽しそうだなーって言われたいし、あいつらがいるならたまには帰ろうかなって思ってもらえる場所になりたい。